《ふしぎ工房症候群 妹の遺言》1
ふしぎ工房症候群
《妹の遺言 》
CAST:岸尾大辅
1.prologue
日常で起こる、些細で不可思議な出来事、それが人の思考と行動に影響を与えていく、過程と結末を知りたいとは思いませんか?この物語はあなた自身の好奇心と願望に基づいて構成されています。ともすれば、見落としてしまいがちのいつもの風景の中に、あなたが不思議工房を見つけることができるように、お手伝いしましょう。
01-prologue
日常生活中发生的细微而又不可思议的事情,想知道这些对人的思考与行动带来影响而产生的过程与结果吗。这个故事是根据你自身的好奇心与愿望而构成的。为了在容易被忽略的见惯了的风景中找到不可思议工房,让我来帮助你吧。
2.遊園地
お兄ちゃん、大好き!六つしたの妹の口癖、幼いころからいつも僕の後について離れない、気がつくと、袖口をしっかり握って放さない、ちょっと邪魔者扱いすると、もう見る見るうちに目に涙を溜めて、僕を睨む。
そのくせ、僕の命令を待っている顔は、本当に生き生きして、輝いていた。僕は悪餓鬼で、妹は子分だった。そんな彼女は、中学生になっても、幼いころと何も変わらない、たっだひとつのことを除いては。妹は白血病で、余命半年と宣告された。
小学校六年生の時、両親が離婚した、父親はギャンブル好きで、家に金も入れず、挙げ句に女をつくって、家を出た。この時、妹はまだ五歳だった。父は仕事を口実に、家にいることは少なかった、偶に帰ってきたと思ったら、泥酔状態でよく母に暴力を振るった。その光景を、僕は妹と震えながら見ていた。母が堪らず、家の外に飛び出すと、今度は父は僕たちを襲い掛かった、父に殴りつけられても、妹に手を出させまいと、歯を食いしばって耐えた。妹はお兄ちゃん、お兄ちゃんと呼びながら、背中に隠れて泣いていた。いつしか父が眠ってしまうと、母が戻ってきて三人で泣いた。そして、僕は泣きながら、母に言った、お母さん、何であんなやつがお父さんなの、母は黙って泣いてばかりいた。そうなると、決まって妹が、お兄ちゃん、お母さんを苛めないで、と言った。僕はその言葉にまた泣いた。母は父の変わりに生活費を稼いでいたから、やつれきっていた。それは僕にも、妹にも分かっていた、そしてまもなく父は家を出ていた。
それから一年も経ったある日曜日、母が僕と妹を遊園地に連れていてくれた。父がいる時には叶わなかった、親子三人水入らずの楽しいひと時だった、僕が中学一年、妹が小学校に上がったばかりのころだった。忘れもしない、空が青く澄み切っていて、日差しが肌に心地よい、五月晴れだった。身長が足りずに、ジェット工スターに乗れなくて、駄々をこねる妹に母がキャンディーを買ってあげた、それでも泣き止まない彼女を僕は肩車し、あたりを走り回った。
そ~~ら、兄ちゃんジェット工スターだ、妹はきゃーと言って、必死に僕にしがみついた、それを見て、母が笑った。メリーゴーラウンドに妹と一緒に乗った、妹が前に、僕が後ろに、くるくる回る木馬の上で、彼女はきゃきゃと笑った、それを母が手を振りながら見ていた。コーヒーカップには三人で乗った、妹はここでもおおはしゃぎだっだが、僕は少し酔ってしまった、カップを降りて少し休んでいると、妹は心配そうに僕の顔を覗き込み、黙って、手に持っているものを差し出した。妹が大好きなソフトクリーム、僕は焦った、大丈夫だ、兄ちゃんは強いから、もう平気だ、さあ、溶けないうちに早く食べるんだよ。強がって力瘤を見せてやったら、彼女は安心した様子で、ソフトクリームにぱくつき、時々、僕にもよそわけしてくれた。その日の夕食は豪華だった、豪華と言っても、単に外食したに過ぎないが、外で食べるということが、僕たちにとっては、とても新鮮なことだった。本当に楽しい一日だった。母も、僕も、妹も、初めて味わう幸福なひと時だった。その日の夜、自宅に帰ったところで、母は倒れ、帰らぬ人となった。
02-遊園地
“哥哥,最喜欢你”,这是比我小六岁的妹妹的口头禅,从小时候开始就一直跟在我的左右,片刻不离。察觉到的时候,总是用手紧紧捏住我的袖口不放。要是稍做出嫌她麻烦的表情或举动,一会儿就眼中含着泪水盯着我看。尽管这样,等待我的命令时的表情,真的很活泼,闪耀着光彩。我是坏孩子,妹妹是我的追随者。那样的她,在进入中学以后也和小时候没有任何改变,除了一件事之外。妹妹患白血病,被宣告只剩下半年的生命。
小学六年级的时候,父母离婚了。父亲沉迷赌博,不为家里赚钱,到最后甚至和别的女人交往,离开了家。那个时候妹妹还只有五岁。父亲以工作为借口,在家的时间很少,偶尔回来了,也是喝得酩酊大醉,经常殴打母亲。那样的场面,我和妹妹一边发抖一边看着。母亲受不了,从家里逃出去,父亲开始对我们暴力相向。即使被父亲痛打,想着不能让他对妹妹出手,我咬牙忍受着。妹妹叫着:“哥哥,哥哥”躲在我背后哭泣。不知不觉父亲睡着以后,母亲回来,三个人一起哭。我哭着对母亲说:“妈妈,为什么那样的家伙是爸爸啊!”母亲沉默着,只是哭个不停。这个时候,妹妹一定会对我说:“哥哥,不要欺负妈妈了。”我因为这句话又哭了。母亲因为要代替父亲赚生活费,变得瘦弱憔悴了。这些我和妹妹都明白。之后不久,父亲离开了家。
一年以后的某个星期天,母亲带着我和妹妹去了游乐园。父亲在的时候没有实现的,一家三口一起度过的愉快时光。我初中一年级,妹妹才刚上小学。我还记得,那时的天空蔚蓝澄净,阳光照在身上很舒服,是五月晴朗的天空。母亲为身高不够无法乘上轨道滑车而撒娇的妹妹买来了糖果。我让还没停止哭泣的妹妹坐在肩上,跑着在四周转来转去,“哥哥是轨道滑车!”妹妹“呀~”地叫着,紧紧地搂住我。看着我们,母亲笑了。
和妹妹一起乘了旋转木马,妹妹在前面,我在后面,在轱辘辘转动的旋转木马上,妹妹“咯咯”地笑了。母亲挥着手看着这一切。三个人一起乘了咖啡杯,妹妹还是很兴奋,我却有点头晕了。下了咖啡杯,打算稍稍休息一会的时候,妹妹担心地偷偷看我的脸,然后默默地把手里拿着的东西递给我,那是妹妹最喜欢的雪糕。我着急了“没关系的,哥哥很强壮的,已经不要紧了。趁还没化的时候快点吃吧。”逞强着弯起胳膊给她看肌肉,她仿佛安心的样子,大口吃起了雪糕,时不时的也分给我。那天的晚餐很豪华。说豪华,其实也不过就是在外面吃饭而已,然而,单只是在外面吃饭对我们来说也是很新鲜的事,真的是很开心的一天。那是母亲,我和妹妹第一次体验的幸福时光。
那天的晚上,刚回到家,母亲就倒下了,再也没有醒来。